2026/7/28
「和田竜汰の作品をめぐる二つのテキスト」藪前知子 評(キュレーター、東京都現代美術館学芸員)
和田竜汰の作品をめぐる二つのテキスト
藪前知子 評(キュレーター、東京都現代美術館学芸員)
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以下は、筆者とChatGPTとの対話の結果生成された、和田竜汰「/image prompt : image prompt that writes “image prompt that writes“」展についてのテキストである。

展示風景:“Background 1.0.4” (会場:東京日仏学院)
和田竜汰の《background》シリーズでは、まず生成AIによって「作品を収めるためのクレート」のイメージが生成される。作家はその画像をもとに絵画を描き、あるいは実物としてクレートを精巧に再制作する。クレートの表面には、AIに与えられたプロンプト──すなわちそのクレート像を生成した命令文──が刻字されており、その記述は単なるラベルではなく、生成条件そのものとして作品表面に露出している。さらにそれらのクレートには、傷、摩耗、汚れ、日焼けといった経年変化が施され、長い輸送や保管を経てきたかのような痕跡が与えられている。ある作品では、クレート内部が空洞となっており、本来そこに収められているはずの“作品”は存在しない。
このシリーズにおいて鑑賞者が目にするのは、完成された作品ではなく、むしろ作品を成立させるための周辺的条件である。クレートとは本来、作品を輸送し、保存し、管理し、その価値を制度的に保証するためのインフラであり、美術館や市場においては不可欠でありながら、通常は観客の視界から隠される存在である。しかし和田は、その裏方であるはずのクレートを前景化することで、作品そのものよりも先に、作品を支える制度やプロトコルを可視化している。
さらに重要なのは、クレート表面に刻まれたプロンプトの存在だ。それは単なる説明文ではなく、クレートのイメージを生成した命令文そのものであり、そのテキストは再び新たなクレート像を生成しうる。つまりここでは、「クレートを生成する指示」が、「生成されたクレート」の表面に刻まれ、そのクレート自体がまた新たな生成を予告するという再帰的構造が生じている。
本来であれば、クレートとは先に存在する作品を保護するための容器である。しかし和田の作品では、その順序が反転する。作品は不在のまま、クレートだけが生成され、その運搬痕や劣化、保管の痕跡だけが「何か重要な作品が存在していた」ことを示唆する。そこではオリジナルは空洞化し、むしろ制度的な管理や記述のネットワークそのものが作品性を成立させている。

展示風景:“Background 1.2.1” (会場:東京日仏学院)
特に、人工的に与えられた劣化表現は重要である。傷、汚れ、摩耗といった痕跡は、本来であれば長い時間を経た物質だけが持つ来歴を示すはずのものだ。しかしここでは、その歴史性すら生成されている。つまり作品の「過去」や「オーラ」でさえ、AI時代には事後的にシミュレート可能なものとなるのである。
このシリーズが暴き出しているのは、現代において作品とは何かという問いだけではない。むしろ、作品とは実体によって成立するのではなく、それを記述し、管理し、輸送し、保存するプロトコルによって成立しているという事実である。和田は、存在しない作品のためのクレートを反復的に生成することで、作品概念の中心がすでに空洞化していること、そしてその空洞を制度と言語が自己増殖的に支え続けていることを示している。
この批評性は、美術制度の内部にとどまらない。むしろこの作品は、現代社会そのものが、記述と管理によって現実を成立させる構造へ移行していることを鋭く示唆している。今日、金融市場における価値、SNS上の人格、国家や企業のブランドイメージ、さらにはAIによって生成される膨大な情報環境に至るまで、私たちは「まず記述が存在し、その後に現実が形成される」という状況の中に生きている。そこでは実体よりも先にデータが流通し、記号が価値を帯び、その管理可能性そのものが存在の条件となる。
和田の作品において、プロンプトは単なる制作指示ではなく、現実を先回りして生成するコードとして機能している。そしてクレートに付与された傷や劣化は、「存在した痕跡」や「歴史」を演出することで、その虚構に現実性を与える。つまりここで生成されているのは、作品そのものではなく、「作品が存在したと信じさせる条件」なのである。
だからこそ、空洞のクレートは決定的である。それは単に中身のない箱ではない。むしろ、私たちの社会において、価値や真実性がいかに制度的な記述と管理によって成立しているか、その空虚な中心を露出させる装置なのである。和田は、AIによる生成と美術制度の構造を重ね合わせながら、現代において「存在する」とはどういうことか、その条件そのものを問い直している。
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以下は人間である筆者が、和田竜汰「/image prompt : image prompt that writes “image prompt that writes“」展について書いたテキストである。

”Art Award Tokyo Marunouchi 2025” 展示風景 / 撮影:木奥惠三
和田竜汰の作品を最初に見たのは、アワードの審査会だった。不穏な状況が可視化されていると感じ強く推したが、他の審査員からは、美術の制度論なんて形骸化したテーマではないか?といった反応があっただけで、個人賞を授与するだけにとどまった。確かに和田の作品は、「美術作品のクレート」という「制度」を示しただけで、内部が空っぽであっても成立してしまうという状況を示したと見れば、デュシャンの《泉》とそう変わらないものと見えるのかもしれない。しかし、レディメイドを「作品化」したデュシャンに対し、和田は、元となるイメージから、手を動かして「作品」を作り出している。むしろここで注目したいのは、和田が、オリジナルとコピーの関係を破壊するような、再生不可能性を暗示する要素を組み込んでいることだ。制作された「クレート」のいくつかには、表面の描画に、和田が元々扱っていたという銀の素材が使用されている。プロンプトは、時間の経過とともに変化しいずれ読めなくなるかもしれない。あるいは全く別のものが生成される可能性もあるかもしれない。さらに和田は、元となったAI画像を古い型のiPhoneをディスプレイとして表示する作品も制作している。これらのイメージデータは変化しないが、物理的に存在しなくなる未来が埋め込まれている。この展覧会のタイトル「/image prompt: image prompt that writes “image prompt that writes”」は、生成された画像が閉じるのではなく、そこに示されたプロンプトによって常に次の生成を促す再帰性を持っていることを示している。しかし同時に、作品には、その不可能性も埋め込まれている。この要素を、和田はなぜ忍ばせたのだろうか。和田の作家としての出発点が銀という素材にあることを考えると、むしろこの点にこそ、本質が潜んでいると言えるかもしれない。

展示風景:”Background 2.1.0” (会場:東京日仏学院)
このことを考えるにあたり、会場の片隅にあったもう一つの作品が思い出される。展覧会場の入り口、外の空間とのギリギリの際に、ひっそりと置かれていた宅配の段ボール。外から届けられたものが無造作に置かれているように見えたが、作家の解説によれば、これもまた、AIで生成させたイメージから忠実に再現されたものだという。この作品は直ちに、福尾匠が「置き配的」と描写したコロナ以降のコミュニケーションの変質——荷物の到着が、手渡しや中身の確認によってではなく、配達完了の通知や写真、位置情報といったログによって成立する状況——を思い起こさせる(1)。和田の作品とこのことについての関連は、Chat GPTによる次のようなステイトメントを見ても明らかだろう。「運搬・保管・展示の痕跡を纏った箱は、作品が『どこからきたのか』という来歴を帯び、観客に中身よりも先に、その到着と管理の回路を読ませる」(2)。
一方でホワイトキューブとはむしろ、その物体の持っているログを切断する装置でもある。デュシャンの《泉》は、工業製品の便器であるという来歴から切り離されることで「作品」として成立した。そうしてみると、会場と外の境界にある床に置かれた物体を「作品」たらしめているのは、それがAIから生成したというログなのか、あるいはホワイトキューブという制度なのか。いずれにしても、和田の作品には、「生成した」「届けられた」「設置された」という複数の、しかも別のログ系統に属するようなパフォーマンスが重ね合われている。言い換えればそれらは、それぞれのパフォーマンスによってのみ意味を付与されるような不安定な存在としてのみ、この空間に立ち現れる。
そうしてみると、冒頭に指摘したような、作家が忍ばせた作品の物質的な側面は、存在という概念の揺らぐ世界の隙間に、唯一残された現実の手がかりと言えるのではないだろうか。メディアの経年劣化を通して可視化される時間は、ログという不可逆的な連鎖の真正性を保証しながら、そのプロセスにバグやエラーを起こす契機ともなる。パフォーマンス、あるいはログとしてのみ存在を付される——つまりは全て情報に置き換えられる現実世界においても、なお残り続ける物質的残滓。そもそも、デジタルデータでも映像でもなく、実体を持った存在として作品を制作すること自体に、作家の動機は強く反映されていたのだ。その物質的存在は、異なる時間軸に属する複数のログを、今ここで束ねるものとして現前する。言い換えれば、そのような厚みを持った時間の枠組みを、新たに生成させる依り代として、物質がここで再定義されているのだ。
参考文献
(1) 福尾匠『置き配的』講談社、2025年。
(2) Chat GPT、和田竜汰 個展「/image prompt : image prompt that writes “image prompt that writes“」ステートメント
和田竜汰 個展「/image prompt : image prompt that writes “image prompt that writes“」
会期
2026年2月20日(金)~3月8日(日)
※初日2/20(金)19時30分より、作家を迎えオープニングレセプションを開催。
会場
開廊時間
火~木、土:11時~19時(金・日は17時まで)
月曜休館
初日2/20(金)は18時~21時
入場
無料
お問合せ
03-5206-2500(東京日仏学院)
協力:三菱地所株式会社
アートアワードトーキョー丸の内は、若手アーティストの発掘・育成を目的とした現代美術の展覧会です。