私/シミュラークル
2025-2026
写真、NFCタグ、キャンバスに油彩
使用AI:stanel diffusion
本作品は、両親の若年期写真(20-30代ごろではあるが)を学習させたLoraを作り、生成したイメージがモチーフとなる。絵画がメインになっているが、プロジェクトに近い形をとっている作品になる。具体的な内容としては
「生成」→「私のインスタアイコンを生成物に変更」→「本作品専用インスタアカウントで生成物を投稿」を毎日行っている。そのなかで時折、興味深いイメージを絵画に起こしている。(絵画にする際の表現手法は問わない)
そのため、現在の私のインスタグラムのアカウントは毎日アイコンが変わっていることになる。本作品は現代のセルフポートレートについて考えた作品である。「自画像」なのだ。しかし、この学習データに私の顔は含まれていない。父と母、そして不特定多数の見知らぬ誰かの写真が学習されている。その生成物は「私」のインスタグラムのアイコンになる。そこではそのアイコンが「私」を象徴し、私の操作によって他者に私の側面が共有される。加えて鑑賞者は写真にスマートフォンをかざすとnfcタグにより、その日に生成された他のイメージもアクセス可能になっている。
毎日生成するのは、AIはデジタルデータであるために、時間という概念が我々と異なるからである。近代以降、時間がシミュラークルになった。デジタルデータはその名残であり、いま時計として動く時間は一元的であるがゆえに時間シミュレーションを可能にしている。
さらに言えば本作品は私のシミュレーションでもあるのだ。私の兄弟は生まれてこなかった。確かに命の種は存在してた。それを知った時から、私のシミュレーションは始まっている。もし姉がいたらと考えるとき、私の人格は全く別人として形成されていたかもしれない。これらのifは普遍性がある。そしてAIはそれを内包しその欲望を叶える装置と化している。新しいイメージとは言い切れないが、ifというシミュレーションを生成するのだ。
だからこそ、定期的に生成物を描く必要がある。デジタルデータは人間向けに翻訳されている。それはAIもである。昨今のAIは人間にとって利便性が高い。本作品における絵画は翻訳力が未熟なAIの生成物を、私が人間向けに翻訳する目的でもある。私の目を通し、私の身体スケールの中で、私の生い立ちというバイアスの元、作品は私の時間の中で再生成される。
油彩の物質的遅延と私の身体、AIの即時性を対置させ、AI時代の「自画像」と倫理について思考する。
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